PBLを通じた知財教育の可能性?(末宗達行)
世の中、変化しないことの方が少ないとは思いますが、近頃は色々なことが特に目まぐるしく変化しているように感じます。私にはおよそずっと物価というのは「少々下がったとしてもおよそ変わりやしないもの」と思っていたのですが[1]、どうもそうでもなさそうである[2]ことを昨今実感します。知的財産法の界隈でも、「メタバース」の話題で持ちきりかと思っていたら、ChatGPT[3]などに代表される人工知能(AI)の話題が一般の方を含めて大変な注目を集めており[4]、ここ数年だけみても世の中の変化の速さとそれへの迅速かつ的確な対応の必要性が強く感じられるところです。
大学での教育もまた、ご多分に漏れず、社会情勢の変化と、多方面からのご期待とご要望により、絶えず見直されているところであろうかと思います。ここ数年の顕著な変化は、新型コロナウイルス感染症の拡大への対応で、オンライン授業やハイフレックス授業が一般化したことでしょうか。昨年5月に感染症対策による社会的制約が大幅に緩和[5]した後も、オンライン授業やハイフレックス授業は、授業形態としてよくある選択肢であろうかと思います。また、AIの普及についても、どのように有効に取り入れていくか、色々な取り組みがなされているようです。
さらに、こうした社会情勢の変化を直接受けての話とは別に、私の周辺では「PBL」の導入や実践についてのお話をよく耳にするところです。この「PBL」には、「Problem-Based Learning」と「Project-Based Learning」と2つが含まれうるようでして、その定義や使い分けについては諸説あるようですが、「どちらも、学習者が問題を発見し、その問題を解決するために様々な努力をする過程で、経験や知識を得ていくという学習方法[6]」と説明されることがあるようです。実際にありうるパターンとしては、例えば、協力していただく企業から課題(お題)をもらい、学生が具体的な問題を発見ないし設定して、解決のための具体的な取り組みを行う、というところでしょうか[7]。PBLの成果として、映像作品や何らかの成果物(教材、スライド、紙芝居など)が生み出されることも多いのではないかと思います。これらの成果物は、著作権法などの知的財産法の下での保護が考えられるところであり、PBLは「知財教育[8]」の機会とも言い得るかもしれません。もちろん、成果物の作成の過程において他人の権利を侵害しないようにするという意味での知財教育の場ではあるかもしれませんが、「創作者」としての視点から知的財産を学ぶ機会としての側面の方が注目されるように思います。前述のような実際にあり得るパターンを想定すれば、①協力してもらう企業等の第三者が関与し、当該第三者が成果物を利用したいというニーズも想定されうるところですし、②複数年にわたって、あるいは、科目担当者が変わっても継続性のある形で成果物を作成ないし改良していくことも想定されうる[9]ところかと思います。また、PBLの定義からも明らかなとおり、③成果物も一定のものになるわけでは全くなく、色々なものが想定されるところで、映像作品であるとか、商品のパッケージといったものもあり得るため、映画の著作物の著作者等に関する規律や、関連する複数の知的財産法の規律の交錯を念頭に置かなければならないであろうと思います。これらに係る知的財産関係の権利処理の対応等を授業担当者のみで行うことは現実的ではないでしょうけれども、弁護士や弁理士の先生方などの専門家等の適切なサポートが受けられるのであれば、少なくともこれらに関係する法や実務について、学ぶ機会と「なりうる」かと思います[10]。
PBLが「創作者」としての視点から知的財産を学ぶ機会ともなるならば、著作権法が「内的視点」を獲得することに資する[11]かもしれません。もっとも、協力してもらう企業等の第三者が関与するがために、「炎上」の未然防止や「行き過ぎた」コンプライアンスの徹底により、実際には一般的な解釈では適法な行為であるにもかかわらず「知的財産の侵害リスクの防止」の名のもとに、表現が過度に制約される可能性もあるかもしれません。こうなってしまうと、本末転倒でしょうから、よくよく注意せねばならないように思います[12]。とはいえ、PBLの元々の課題を遂行することと、知財教育の実施という「二兎を追う」のも、PBLの意義をより高めることになるかもしれないと思います。
大学の教育についての私個人の目前の課題は、PBLの導入をめぐってのものでして、既に頭を抱えているのですけれども、これからも世の中の変化はたくさんあることでしょうから、翻弄されてしまうのではなく、前向きにとらえて一生懸命取り組んでみたいと思います。皆様のご指導、お力添えを賜れましたら幸いです。
以上
[1] 2001年3月の『月例経済報告』(https://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei/2001/0316getsurei/image1.html)は、「持続的な物価下落」を「デフレ」と定義して、「現在、日本経済は緩やかなデフレにある」と述べたことはよく知られるところかと思います。2013年12月の『月例経済報告』(https://www5.cao.go.jp/keizai3/getsurei/2013/12kaigi.pdf)では「デフレ状況でなくなっている」とか、『経済財政運営と改革の基本方針2014』(平成26年6月)1頁(https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/honebuto/2014/2014_basicpolicies_01.pdf)には「物価動向も、もはやデフレ状況ではな〔い〕」とあり、以降、時折「デフレではない状況」といわれるようです(なお、内閣府による「デフレ脱却」の定義は、「物価が持続的に下落する状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがないこと」とされています)。筆者がある程度の分別がつくようになった(物心がついた)のがいつなのかは定かではありませんけれども、少なくとも小学校の時からずっと「デフレである」か「そこから脱却したと公式に宣言されていない状況にあった」かのいずれかということになるかと思います。
[2] 一応念のためですが、筆者は素人ですので、「前よりもスーパーのレタスの値段が高い」とか「グラム当たりの豚肉の値段が…」とか「自販機でのペットボトル飲料の値段が特に高く感じる」とか、そういった程度のものを言っているにすぎません(一般物価について云々述べているいるわけでは全くありません)。
[3] OpenAIがChatGPTを公開したのは、2022年11月のことですが、わずか1年余りで日常の色々な場面で広く活用されているように思います。
[4] 文化審議会著作権分科会法制度小委員会が「AI と著作権に関する考え方について」(令和6年3月15日)を取りまとめたことや、政府知財戦略本部「AI時代の知的財産権検討会」(第6回)で中間とりまとめの骨子案が提示されたことも新聞等で報じられ、一般の方の関心も高いようです。
[5] 周知のとおり、2023年5月8日より、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置づけが、「新型インフルエンザ等感染症」から「五類感染症」に変更されています(厚生労働省「新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行後の対応について」https://www.mhlw.go.jp/stf/corona5rui.html)。本稿の作成時点(2024年3月26日)でも、変更からまだ1年経っていないことに驚きますが、社会生活は様変わりした感じがいたします(ただし、2023年3月からマスク着用の判断は個人の判断に基本的に委ねられることになっていました)。
[6] 日本私立学校振興・共済事業団「大学ポートレート」における用語辞典での定義を引用した(https://www.shigaku.go.jp/p_dic_t017.htm、2024年3月26日確認)。
なお、杉山芳生「大学教育におけるPBLの問題と可能性」(京都大学博士論文、2022年)3、37頁は、Problem-Based Learningが主に医療系分野で実践され、Project-Based Learningが主に工学系分野で実践されてきたところ、これら両者の歴史的展開を整理したうえで、両者を統合した「PBL」を「知識の活性化や統合,自己主導的な学習能力の向上を目指し,行為を伴いながら,学習者自身が問題から課題を設定して学習を進めていく,学習者主体の教育的アプローチ」と定義しています。
[7] 一例として、サーティファイ著作権検定委員会と山口大学国際総合科学部との間でのPBLの取り組みが挙げられようかと思います(https://www.sikaku.gr.jp/bc/pbl/、2024年3月26日確認)。
[8] どちらかといえば「知財教育」よりも「知財創造教育」にも近いかもしれません。これらの異同については、上野達弘編『教育現場と研究者のための著作権ガイド』(有斐閣、2021年)202-204頁〔小島立〕
[9] 比較的長期間にわたる産学連携プロジェクトにおいて担当する学生が、同一年度のその学年の学生にとどまらず、翌年度以降のその学年の学生が引き継いで担当する事例として、〔口頭発表〕布施匡章「サービスデザインを用いた米菓開発と販売提案」産学連携学会関西・中四国支部関西・中四国支部 第15回研究・事例発表会(鳥取県立生涯学習センター、2023年12月7日)(予稿は、http://www.b150.j-sip.org/meeting/15th-2023/M15-proc/M15-12.pdf、2024年3月26日確認)における場合があげられるかもしれません。
[10] 木村友久「実社会の課題解決に取り組む研究が生む、権利処理能力を養う効果」日刊工業新聞2020年9月24日(https://newswitch.jp/p/23938)。関連して、大貫恵理子ほか編著『創って学ぼう著作権~先生と生徒の体験学習・兵庫の記録~』(私的録画補償金管理協会、2007年)(特に42-44頁)も参照。
[11] 田村善之「法教育と著作権法―政策形成過程のバイアス矯正としての放任との相剋」ジュリスト1404号(2010年)41頁。(「内的視点」について、同40頁は、「法が,サンクション等の外在的な要素がなくとも,規範の内容に正当性を認めて順守するという意欲を人々に喚起する場合,そのような法は…『内的視点(internal perspective)』をも獲得したとされる。」(引用に際して、脚注を除外。)としています。)
[12] また、著作権法に関して、政策形成過程のバイアス矯正手段として「実際には訴追されないことという現実」の意義を評価する立場からは、著作権教育が、過度に条文の文言どおりの規範遵守を徹底させることは弊害がある旨の指摘がなされます(田村・前掲注(10)40-41頁)。